どこにでもある日常が愛おしい——人はなぜ言葉を交わすのか?『いつ恋』第8話 | ニコニコニュース

フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
日刊サイゾー

 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第8話は、人々が交わす多くの言葉によって彩られている。それらはことさら特別なものではなく、取るに足らない日常の中の言葉だ。たとえば、引っ越し屋に戻った練(高良健吾)は、同僚から「(『サザエさん』の)波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」と冷やかされている。あるいは、同僚と話す音(有村架純)は「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」と聞かされる。それらは、日常にあふれる平凡な言葉だ。それ自体に特別な意味はない。日々の時間と空間を埋める、次の日になれば忘れてしまうような、そんな言葉だ。

 多くのテレビドラマにおいて言葉、ないし登場人物が語るセリフとは、大きく分けて2つの種類がある。ひとつは、物語を進行させるために配置された言葉だ。これらの言葉によって物語は変化をし、あるいは物語を推進させる機能を持つ。もうひとつは、言葉そのものが力を持ち、視聴者の感情を揺さぶる種類のものだ。その言葉はドラマチックで特別なものであり、それ自体が視聴者の感動や笑いや共感を呼ぶような見せどころとなる。

 だが先述した「波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」や「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」という言葉は、そのどちらでもない。物語の進行においてこの言葉はなんの役割も果たしてはいないし、もちろん視聴者の感情を揺さぶることはない。言ってしまえば、テレビドラマにおいてあってもなくてもどちらでもいい言葉だが、しかしこの作品においてはそうではない。あってもなくてもどちらでもいいような、日常を形作るそのような言葉こそが、この作品の、少なくとも練と音にとっては重要な言葉なのだ。

 今は朝陽(西島隆弘)と付き合い、プロポーズもされている音は、彼との思い出を練に語る。かつて、まだ朝陽が介護施設の職員として働いていた頃の話だ。認知症が進行し、しゃべることもしなくなったおばあさんに朝陽が毎日語りかけ、彼女は口を開く。出てきた言葉は、きんつば、だった。特別で豪華な料理ではなく、日常にあふれた食べ物であっても、彼女の日常にとっては大切な食べ物だったのだろう。彼女を連れて、朝陽と共に動物園へゴリラを見に行った話を、音は楽しそうに話す。どこにでもある日常であっても、いやだからこそ、日常はかけがえのない思い出になる。音は、そして練は、そのようにして生きている。

 だが、朝陽はもう、そうではない。音がその思い出を話しても、彼はおばあさんの名前も覚えていないし、きんつばやゴリラのことも思い出せない。音の悲しげで切ない表情は印象的だ。彼女は日常のために生きている。一方で今の朝陽にとって、日常とは何かの目的を果たすための過程に過ぎない。それは音にとって、日常そのものが目的であるのと正反対だ。音と今の朝陽は、同じ世界に立ってはいるが、違うものを見ている。

 練の引っ越し屋の同僚たちは、彼が戻ってきたことを喜び、ささやかに祝う。先輩は、練の誕生日にぶっきらぼうな態度でコンビニのケーキを渡す。それはどこにでもある日常かもしれないが、だからこそ愛おしい。練も音もそのことを知っている。そしてそれは、きっと世界で最も大切な真理なのだ。2人は音のアパートで好きなものの話をする。うれしそうに。楽しそうに。音は笑いながら言う。

「好きなものの話って、楽しいですよね」

 人は誰かと言葉を交わしながら生きていく。それは、何かの目的があるばかりではない。言葉を交わすことそれ自体が楽しいから、私たちは言葉を交わす。言葉を交わす相手が常にいること、それ自体がうれしいから、私たちは誰かと共に生きる。結局のところ、恋や愛や結婚とはそのようなものなのだろう。日常は何かのためにあるわけではない。日常はいつだって、それ自体のためにあるのだ。
(文=相沢直)

●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa