昨年10月以来、ケガにより長期休養を取っていたプロレスラー飯伏幸太(いぶし・こうた)が2月22日に記者会見を行ない、今後の活動方針を発表した。
飯伏は日本プロレス界初の2団体契約選手(DDTと新日本プロレス)として活動してきたが、なんと2月末をもって両団体とも契約を解除。今後はフリーとして、自身が設立した「飯伏プロレス研究所」を拠点に活動していくという。
“ゴールデン☆スター”の異名を持ち、従来のプロレスを一歩先のレベルに進化させてきた変革児に一体、何があったのか? 本人を直撃した!
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―両団体を同時に辞めてフリー宣言したのは驚きましたよ。
飯伏 僕はDDTでデビューして(2004年)、その後、新日本プロレスとも契約しました(2013年)。今もふたつの団体とも好きです。ただ、両方のリングに上がっていると、自分の中でいろいろ足の引っ張り合いのようなものが生まれてしまって、そういうのは一切要らないんじゃないかという気持ちになってきました。
途中から団体に所属してる感覚がなくなってきて、むしろ「プロレスに所属してる」という気持ちでした。元々、フリーみたいな感覚もありましたしね。その中で、これからもっとプロレスを上げていきたいと思って、こういう決断を下しました。
―両団体はそれぞれにストーリー性をもって興行やシリーズを続けていきますから、2種類の自分を使い分けていくのは確かに大変だったでしょうね。
飯伏 DDTでこれをやってるから新日本ではダメ…というしがらみも生まれたりするんですよ。それが溜まってきて、プロレスをやっている感覚が段々薄れていったというか…。もちろん大人の社会ですから、求められるものに合わせるべき部分はわかってますけどね。
―新日本では評価が高まると、どんどんタイトル戦線に絡んでいくようになりますよね。飯伏さんも昨年、IWGPヘビー級やNEVER無差別級のシングル王座に挑戦しました。DDTでは、書店やキャンプ場などで「路上プロレス」をしたり、ラブドールのヨシヒコとのシングル戦といった新機軸で話題を呼んできました。
飯伏 僕は最初、新日本に所属した時、「正統派のプロレスを極めたい」と思いました。DDTはそのスタイルでは勝てないですよ。両団体でやってみて、そのへんは僕自身がわかってます。一方、DDTの路上プロレスなんて他の団体では絶対にできませんから、そういう企画性のあるものをやったほうが上がっていくだろうという考えでした。
こういうふうに、それぞれのリングでまるで違う個性のファイトを求められている限りは、年間を通して両団体の試合日程はなんとかやっていける気持ちではいたんですけどね。
―とはいえ、古巣のDDTでもだんだんタイトルマッチが増えていった。昨年はKO-Dタッグ王座を奪取したり、シングルのKO-D無差別級王座の試合も組まれた。DDTでも正統派のエースとして期待されている感がありましたね。
飯伏 そこなんですよね…。DDTで求められるものがタイトルマッチだったりすると、要するにどっちの団体からも同じことを求められているというか…。すると、2団体に所属している意味がないような気がして、当初考えていたことと全然違う感じになっていきましたね。
―DDTには12年も在籍したわけですから、あらゆるチャレンジを終えて、いわば「卒業」してもいい時期だった気もします。しかし、新日本ではプロレス大賞ベストバウトを獲得するなど次期エース候補の筆頭格だったし、こちらの契約は残してもいいのに…と感じたんですけど。
飯伏 2団体出場って単純に2倍のキツさじゃなくて、両方の帳尻を合わせる部分も必要になってくるんです。するともう、3団体くらいでやってる感じですよ。肉体的にも精神的にも切り替えが大変で、結局10倍ぐらいのエネルギーが必要になっていったんです。だったら、そこを1回ゼロにしたほうが新しいものが生まれるな、と。それで一気に2団体とも辞めるという結論になったんです。
―なるほど…残念ですけど納得しました。体のダメージはいかがですか? 長期欠場の理由は当初、頸椎の椎間板ヘルニアと発表されてました。激しいバンプ(受け身)を長らく取ってきたツケでしょうか?
飯伏 「垂直バンプ」歴は小学校のプロレスごっこから通算すると、もう22年くらいですからね! それはあると思います。
―自伝『ゴールデン☆スター飯伏幸太 最強編』にも、全日本の四天王プロレスに影響を受けて、小学生の頃から危険な角度で首から落ちる受け身を取っていたと書いていましたね。小5の時に朝礼台から校庭に落下してみせて、肋骨が折れたなんていう、とんでもないエピソードもあって。
飯伏 首のほうはもう完治して全く大丈夫ですが、腰のダメージがちょっとあります。医師からは腰椎すべり症と診断されました。これは15歳前後にすごく激しい運動をした人、特に体を反る動きをした人が30代くらいからなる症状だと言われましたね。オリンピック選手などのアスリートに多いそうです。
―15歳くらいというと、飯伏さんはラグビー部に在籍してましたよね?
飯伏 はい。ただラグビーより、間違いなくプロレスごっこのダメージだと思います。
―デビュー前の激しいプロレスごっこが古傷になっていると(笑)。腰椎すべり症はどうやって治すんですか?
飯伏 インナーマッスルという細かい筋肉を鍛えていくしかないそうです。僕の症状はそんなに重いものじゃないので、内筋を鍛えたらなんとでもなると言われてます。リハビリじゃないけど、そういう運動はもう始めていて、体はもうリングに上がれる状態に戻ってますよ。
―ということは、体が治った時期で今回の会見だったわけですね。そもそも欠場が発表されたのは昨年10・25DDT後楽園ホール大会の当日で、ここではKO-D無差別級王座に挑戦する予定でした。しかも自伝を2冊同時発売する直前のことです(『最強編』と『最狂編』)。全国で出版イベントも計画されていたのにキャンセル。「自伝の内容がよほどイヤで失踪したんじゃないか!?」という怪情報も流れたそうですよ。
飯伏 ちょっと待ってください。僕が試合を休んだ理由は失踪じゃなくて高熱ですから! 出版のタイミングが重なったのは全くの偶然です。本当はたくさんキャンペーンもやりたかったんですよ。楽しみにしていた方たちには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
―2013年と15年に2度、飯伏さんと超名勝負を繰り広げた中邑真輔選手が新日本からWWEに移籍しました。中邑選手に勝つという目標を失ったことも退団を決断した一因ですか?
飯伏 う~ん、直接的な理由ではないですね。フリーになることを決めた100くらいある理由の中のひとつという感じですかね。
―もしかしたら、飯伏さんも将来的にはWWEに行きたいという希望は?
飯伏 いやぁ、英語を話せないし無理じゃないですかね。「WWE行き」イコール「アメリカで暮らす」ということですからね。そのへんは現実的に厳しいかな…。ただ、仮の話ですけど、もしWWEに行くことで自分の考えるプロレスがさらに上に行ける…そういうものがあるなら可能性はあるかもしれない。でも現時点ではわからないですね。
―プロレスをさらに上のステージに上げたい、もっとたくさんの人に見せたいという意味では、昨年末に始まった総合格闘技イベント「RIZIN」に出場するという可能性は?
飯伏 それもまた、プロレスにとってプラスになるなら考えます。
―早速、オファーが届いたりして(笑)。ただ、そのリングでプロレスを見せたいと思っても、あくまで総合格闘技の試合をオファーされたら?
飯伏 それがいいと思ったらやるでしょうし…。自分の「勘」が頼りですよね。そこであえてプロレスをやったほうがいいと思ったら僕はプロレスをやりますよ。いろんな可能性がありますよね。
―今後、新日本からビッグマッチ単発のオファーがあれば、出ますか?
飯伏 両団体とも揉(も)めて辞めたわけではないので、DTTにも出たいし新日本にももちろん出たい。ただ、その意義とか理由は自分に選ばせてほしいです。じゃないと、今までと変わらないので。これからは自分がいいと思ったものに出たい。自分のプロレスをやっていきたいです。確かに、気持ちがキツくなって団体を辞めたのは事実ですけど、以前よりさらにモチベーションは上がってますから!
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飯伏の考える理想のプロレス、そして「飯伏プロレス研究所」の構想とは? 明日配信予定の後編で深堀りする!
●飯伏幸太(いぶし・こうた)
1982年生まれ、鹿児島県出身。超人的な身体能力を武器に、DDTではKO-D無差別級、KO-Dタッグ、新日本プロレスではIWGPジュニアヘビー級、IWGPジュニアタッグなど様々な王座を獲得。2013年の中邑真輔とのシングル戦はプロレス大賞ベストバウトに輝いた。昨年10月には『ゴールデン☆スター飯伏幸太 最強編』『最狂編』(小学館集英社プロダクション)を2冊同時出版
(取材・文/長谷川博一)