人の役に立つって素敵なことだよね。子どものころから結構周りの大人たちに言われ続けてきたんじゃないかな。そういう経験もあって、成長した今でも「人の役に立ちたい……」と真剣に思っている女子がいっぱいいるよ。
もしかしたらあなたもそう思っているかもしれないね。大好きな人の役に立ちたい、親の支えになりたい、職場で、学校で、地域の中で……ともかく誰かの助けになって、役に立つ人と思われたい。
でも「何のとりえもない私には、人の役に立つなんて難しい……」なんて、自分の無力さにがっかりしてたりしないかな?
人の役に立つことの何が嬉しいかっていうと、一番は喜んでる人の顔を見られることだよね。「ありがとう」の言葉や笑顔はやっぱり素敵なものだから。でも絶対にそういう嬉しいリアクションがもらえるとは限らない。
ときには無視されたり気づかれなかったり、逆に迷惑そうな顔をされることだってあるよね。
もし人の役に立つっていう体験を通して自分が大事にされることを実感したいって思っていたのに、むしろ辛さとかむなしさを痛感しちゃうんだ。
だから人の役に立つ喜びは自己満足にしておこう。「やりたかったからやった」と言えるなら、人の役に立つために行動できた自分を自分が「よし!」と思えるからね。
人の役に立ちたい気持ちが強すぎて、自分の苦手なこととかやりたくないことも我慢してやらなきゃならないと思っちゃうと大変だよ。
強いストレスを感じたり自分が犠牲になっているっていう気持ちがあると、人の役に立つっていうのは辛いことなんだっていうイメージが膨れ上がってくる。
するとだんだん人の役に立つことを避けたくなってきて、そんな自分がダメな人間だと感じて、自己嫌悪になっちゃうんだ。無理してがんばって人の役に立とうとする必要はないんだよ。
できる範囲で、辛くない程度で、「やってもいいかな、やれそうだな」と思うことを見つけるのがうまくなろうね。
「人の役に立てない自分は何の価値もない役立たずだ」こんなふうに思ってる子がいるんだけど、そういう人って実は立派な人なんだよ。
だって、そもそも人の役に立ちたいっていう気持ちを持ってなければ、自分が人の役に立てていなかったとしても平気だもん。優しい気持ちがあるからこそ苦しんじゃうんだね。
人の役に立ちたいから苦しんで自己嫌悪になっていく。するとますます人の役に立てる人から遠くなっていってしまう。「役立たずの自分」ではなく「志が高い自分」なんだから、自己イメージを変えることから練習してみよう。
「志が高い自分」なら、幻滅しなくてもいいもんね。今すぐには無理だとしても、近い未来に誰かの役に立てそうな気がしてきたらいいな。
人の役に立つ人ってどんな人だろう。たとえばお金をあげれば人の役に立ったと言えるかな。もちろん、お金を必要としてる人だったら「とても役に立った」と思ってくれるけど、お金以外で困ってる人だったらそんなに役立ったとは思わないよね。
それに、たとえお金で困ってる人でも、こちらにお金がなくなった瞬間に役に立たなくなるということになっちゃって悲しい。大事なのは、必要な人に必要なものを提供できること。
お金持ちである必要も力持ちである必要もない。優しい言葉で話しかけるのがうまい必要もなく、毅然とした態度でリーダーシップをとる必要もない。
全ての人の役に立つことは難しいけど、「あなたでも役に立てる人」をまずはたった一人だけ探すならそれほど難しいことじゃないよ。
「誰かの役に立ちたい」ではなく「誰かの役に立っている」と思えるとき、もっと多くの人の役に立つ人になれる。他人の役に立ってる自分が当たり前だと感じられることは、自分の存在価値が認められてるって思えることと同じ。
だけど役に立つことをイメージしたとき、大きなことばっかりを想像してしまったら、「今の自分には難しい……」みたいに思っちゃうよね。身近なことから始めて、少しやって少し役立ってる感を味わってっていう積み重ねでちょっとずつ進めていこう。
やがてはそれが自信になって「自分はこれでいいんだな」って思えるようになってくるよ。(羽林由鶴/ライター)
(ハウコレ編集部)(こいずみさき/モデル)(柳内良仁/カメラマン)