最近、「地方創生」や「まちづくり」をテーマにした講演依頼が増えてきました。そのようなテーマで研究や活動をしてきていたわけではなかったのですが、女子高生によるまちづくりプロジェクト「鯖江市役所JK課」などの実績から、“地方創生の人”というイメージを持たれているようです。
先日も、とある地域で自治体職員の方々を前に講演させていただきました。ご一緒したのは、徳島県神山町のまちづくりに取り組むNPO法人グリーンバレーの大南信也さんでした。大南さんこそ、“地方創生の先駆者”です。
会場で参加者の方からこんな質問がありました。「JK課のように、これまでまちづくりに興味のなかった若者や一般市民などを巻き込むにはどうしたらいいのでしょう」。
僕にとっても、自分の活動を省みる大切な質問でした。そして、こう答えました「若者や市民とって、“うさんくさい”言葉をできるだけ使わないことだと思います。今日でいえば、『地方創生』や『地域活性化』という言葉ですかね。そういう言葉を僕たちはあたりまえのように使ってますが、若者たちには言葉の意味がぼんやりすぎてて、ぜんぜん響きません」。
「◯◯創生」や「◯◯活性化」と言っても、それがどのようなものを具体的なイメージを持ちながら説明できる人は、実はとても少ないのではないかと思います。戦後の「日本列島改造計画」時代の都市計画は、いわゆるハード投資がメインでした。橋をつくって、ビルを建てて、公共設備きれいに整備して、まちなかには図書館を建てて……、どこのまちもやるべきことややりたいことが明確でした。
しかし、そんなハード投資の時代が終わって、地域ごとの特色や市民一人ひとりの多様な声に注目することが求められるようになり、専門的な“それっぽい”言葉をかかげても、みんなが納得できない難しい社会になってきたのだと思います。
鯖江市役所JK課にいろいろな女子高生が参加してくれた要因には、最初に「地方創生」や「地域活性化」といった言葉を極力使わないようにしたということもあると思っています。ではJK課を彼女たちにどのように説明したかというと、「女子高生が、鯖江市を使って楽しむプロジェクト」でした。それができれば成功です、と。
メンバーの女子高生からは「何をやってもいいんですか?」と聞かれたので、「楽しくて、違法じゃなければOK」と答えました。どのようなことが彼女たちにとって楽しいことなのか、まちをつかって楽しめる活動につながるのか、僕たち大人たちには分かりません。彼女たちが「楽しい」と感じる感覚に委ねていくことが大切です。
最初は、メンバーたちも「よくわからないけれど、なんか楽しそう」といったノリでプロジェクトを始めたところがあったと思います。その部分だけを見ると、税金をつかった公共事業としては、いいかげんなものに見えるかもしれません。
しかし、楽しくて活動が続いていけば、メンバー同士の仲間意識や協力関係ができたり、活動をサポートしてくれる市役所職員や地元の人たちへの尊敬も生まれたり、そして「このまちが好きだな」とか「このまちに貢献したいな」という想いや理念も芽生えたりしてきます。軽いノリや感覚が、具体的な活動を通じて深い想いや理念に「昇華」されていきました。そして、自分たちのやっていること、やるべきことも少しずつ具体的になっていきます。
これは「地方創生」の現場に限らず、これはあらゆる場面に求められていることではないかと思っています。企業でいえば、「フラットな組織」とか、「人材の多様性」とか、「グローバル展開」とか……。たしかに、もっとらしい言葉に聞こえますが、それをあたりまえに使うようになった途端、それ以上具体的には考えられなくなり、議論に参加しづらくなってしまう。
考えるべきテーマや課題が難しい時代だからこそ、分かりやすい言葉や感覚を大切にする必要があると感じています。そういう意味では、僕も自分の過去の記事などを読み返してみると、ずいぶんと“うさんくさい”言葉を使ってきてしまったなと反省している今日このごろです。