今年は1995年の3月20日に発生した地下鉄サリン事件から今年で21年目となる。
首謀者であるオウム真理教は自身に向けられたあらゆる嫌疑の捜査をかく乱する目的で、地下鉄にサリンをまいたほか、4月から5月にかけ新宿駅で複数回にわたり青酸ガスを発生させ(未遂)、都庁に小包型爆弾を送付した。5月16日に教祖である麻原彰晃が逮捕されたことで一連のテロ事件は収束したが、オウム以前と以降で社会は変わったといわれる。治安強化の名のもとに、監視カメラの設置などが進められ、一時期は駅構内からゴミ箱が撤去された。
だが、治安強化に限らず、オウム以前と以降にはさまざまな変化がある。中にはオウム事件を端緒として注目される現象もあった。そのひとつが“不謹慎ゲーム”である。
地下鉄サリン事件発生を受けて『霞ヶ関』と題されたゲームが、パソコン通信上に登場する。オウムの犯行方法に同じく、地下鉄の各路線にサリンをタイミングよく散布し、犠牲者の数を競うものだった。
不謹慎ゲームはオウム以前にも存在したが、メディアの注目を集めたのは『霞ヶ関』が最初と言えるだろう。それでも、95年の一般家庭のインターネット接続率は5%以下である。ウィンドウズ95の日本語版が発売されたのは、同年の11月23日であり、インターネットの普及まではさらに数年を要した。
その間、ペルーの日本大使公邸占拠事件(1996年)、北海道のトンネル崩落事故(1996年)、和歌山毒物カレー事件(1998年)や、池袋・下関通り魔殺人事件(1999年)、東海村JCO臨界事故(1999年)など重大事件・事故が起こるたびに不謹慎ゲームが作られていった。
基本的に不謹慎ゲームは、作者のクレジットは匿名である。さらに無償で配布される。そもそもゲームの構造が、既存のフォーマットを援用したものであり、ルールも単純だ。例えば2000年に発生した西鉄バスジャック事件を受けて作られた不謹慎ゲームは、縦スクロールでバスが進み、アイテムを得るごとにバスが巨大化しスピードアップしていくという往年のレーシングゲームにのっとったものだった。
不謹慎ゲームのセンスは、現在ならば“クソコラ”や“MAD動画”などに通ずるものだろう。ゲームの内容は褒められたものではないが、職人技を感じ取れるものもある。直近でも、小保方晴子のSTAP細胞、コピペ論文騒動や、佐村河内守のゴーストライター騒動、果てはベッキーの不倫騒動に至るまで多くの不謹慎ゲームが作られている。不謹慎ゲームとネットの親和性は極めて高いと言えるだろう。
(王城つぐ/メディア文化史研究)
※画像は、Thinkstockより