開業医になって25年、これまで800人以上の人を看取ってきましたが、在宅医療をしてきて、気づいたことがいくつかあります。
それは、「病気にも意味がある」ということ、「誰にでも人生最後の言葉がある」こと、「生き様は死に様である」ということです。
病気になったことで初めて気づくこともあるし、病気が生き方に影響を与えることもあります。それは家族や周りの人も同様です。そもそも多くの病気は、自分の生活習慣や考え方の癖などが原因で発生しています。そこに気づくと、その後の体調や環境が大きく変わってくるのです。
患者さんの中には、がんになって自分のそれまでの生き方を顧みた結果、優しくなれたり、家族に「ありがとう」と言えるようになり、それ以降、状態が良くなったり、人が変わったようになる人がいます。自分は何のために生きるのか、なぜ死ぬのか、という哲学には、人の生き方や視点を変える何かがあるのでしょう。そうやって患者さん1人ひとりが“生ききる”ことをサポートすることも、我々医者の役目だと思っています。
最期を迎える人が家にいる場合、どのような対応をとればよいのか家族は戸惑うものです。
患者さんも、いくら死を覚悟しているとしても、やはり死は怖いものです。パニックになったり、予期せぬ行動をとることもあります。そうした行動を踏まえて、在宅看護をする場合、ご家族に注意してほしいことがいくつかあります。
昼間のご家族の明るい声や生活音は患者さんにとって安心感をもたらします。しかし、同じ生活音でもテレビやラジオのニュースはおすすめしません。ニュースは未来を生きていく人のためのものです。患者さんには、ご本人の好きな歌謡曲や音楽などの番組やCDがおすすめです。
夜になると、暗さと静寂が不安を募らせるようです。夜になったら徘徊を始める人もいます。これは認知症などからくるものではなく、死に面した人が逝く瞬間がわからないために不安で起こす行動ともいえます。煌々と明かりがついていては落ち着かなくなりますので、たとえば隣の部屋の照明をつけたままにするとか、ご本人の好きな歌謡曲や音楽を小さな音でかけたままにするなどの工夫が必要です。
そして、最期のときがやってきたら、ご家族には「ここまでよく頑張ったね」「ありがとう」と患者さんに“引導”を渡していただきたいのです。それによって本人は心安らかに旅立つ準備ができます。このとき、「行かないで」と訴えたり、点滴を打つのは、ご家族の気持ちはわりますが自然の流れに反することになってしまいます。
地方へ行くと、いまだに一軒家に3世代が集まって、その人の最期を家族みんなで看取るといったいわゆる家族力があります。死にゆく前に家族が揃って声をかけてあげると、ご本人は本当に嬉しそうです。患者さんが家族に見せる笑顔にはかないません。残念ながら、私たち医療者が代われるものではありません。しかし、それこそが「健全な死」であり、これからの日本が、もっと増やしていかなければならない課題ではないでしょうか。日本はこれから超高齢化社会を迎えます。いまこそ死のあるべき姿について考えるときだと感じています。
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船戸クリニック院長 船戸崇史----------