「自宅で看取り」なぜニュースを流してはいけないのか | ニコニコニュース

船戸崇史・船戸クリニック院長
プレジデントオンライン

日本の医療費問題が大きくなる中、これからの日本は、在宅医療への重点がますます置かれていきます。20年前から、最後まで患者さんに寄り添える医療を行いたいと、在宅医療も行う船戸クリニックの船戸崇史先生に、「自宅で看取る」ことの大切さについて聞きました。

■「生き様は死に様である」

開業医になって25年、これまで800人以上の人を看取ってきましたが、在宅医療をしてきて、気づいたことがいくつかあります。

それは、「病気にも意味がある」ということ、「誰にでも人生最後の言葉がある」こと、「生き様は死に様である」ということです。

病気になったことで初めて気づくこともあるし、病気が生き方に影響を与えることもあります。それは家族や周りの人も同様です。そもそも多くの病気は、自分の生活習慣や考え方の癖などが原因で発生しています。そこに気づくと、その後の体調や環境が大きく変わってくるのです。

患者さんの中には、がんになって自分のそれまでの生き方を顧みた結果、優しくなれたり、家族に「ありがとう」と言えるようになり、それ以降、状態が良くなったり、人が変わったようになる人がいます。自分は何のために生きるのか、なぜ死ぬのか、という哲学には、人の生き方や視点を変える何かがあるのでしょう。そうやって患者さん1人ひとりが“生ききる”ことをサポートすることも、我々医者の役目だと思っています。

最期を迎える人が家にいる場合、どのような対応をとればよいのか家族は戸惑うものです。

患者さんも、いくら死を覚悟しているとしても、やはり死は怖いものです。パニックになったり、予期せぬ行動をとることもあります。そうした行動を踏まえて、在宅看護をする場合、ご家族に注意してほしいことがいくつかあります。

■いまこそ死のあるべき姿について考えるとき

(1)ニュースは流さない

昼間のご家族の明るい声や生活音は患者さんにとって安心感をもたらします。しかし、同じ生活音でもテレビやラジオのニュースはおすすめしません。ニュースは未来を生きていく人のためのものです。患者さんには、ご本人の好きな歌謡曲や音楽などの番組やCDがおすすめです。

(2)夜中に電気をつける

夜になると、暗さと静寂が不安を募らせるようです。夜になったら徘徊を始める人もいます。これは認知症などからくるものではなく、死に面した人が逝く瞬間がわからないために不安で起こす行動ともいえます。煌々と明かりがついていては落ち着かなくなりますので、たとえば隣の部屋の照明をつけたままにするとか、ご本人の好きな歌謡曲や音楽を小さな音でかけたままにするなどの工夫が必要です。

(3)家族が“引導”を渡してあげる

そして、最期のときがやってきたら、ご家族には「ここまでよく頑張ったね」「ありがとう」と患者さんに“引導”を渡していただきたいのです。それによって本人は心安らかに旅立つ準備ができます。このとき、「行かないで」と訴えたり、点滴を打つのは、ご家族の気持ちはわりますが自然の流れに反することになってしまいます。

地方へ行くと、いまだに一軒家に3世代が集まって、その人の最期を家族みんなで看取るといったいわゆる家族力があります。死にゆく前に家族が揃って声をかけてあげると、ご本人は本当に嬉しそうです。患者さんが家族に見せる笑顔にはかないません。残念ながら、私たち医療者が代われるものではありません。しかし、それこそが「健全な死」であり、これからの日本が、もっと増やしていかなければならない課題ではないでしょうか。日本はこれから超高齢化社会を迎えます。いまこそ死のあるべき姿について考えるときだと感じています。

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船戸クリニック院長 船戸崇史
1959年岐阜県生まれ。愛知医科大学医学部卒業後、岐阜大学第一外科に入局。数々の病院で消化器腫瘍外科を専門に。しかし、「がんには自分のメスでは勝てない、ならばがん患者を在宅で看取る手伝いをしたい」と、1994年岐阜県養老町に船戸クリニックを開業。西洋医学を中心に東洋医学や補完代替医療も取り入れ、全人的な治療、診察を行っている。

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