●キッチンを家の中心に
リノベーションという言葉を聞く機会が多くなった。既存の建物に大規模な工事を行うことで新築時以上の性能や価値を生み出すリノベーションは、新築より住まいのコストを抑えられる魅力的な選択肢だ。しかし、実際にリノベーションに踏み切るにはいくつものハードルを越えなければならない。漠然とした憧れを抱いてはいても、なかなか一歩を踏み出せないという人は少なくないのではないだろうか。今回は、東京・表参道で行われたHouzz JAPANによるトークショー「iPhone、iPadでつながる、幸せな家づくり」から、リノベーションで理想の家を作るために必要なことを紹介する。
○温泉街の「検番」を住まいに決めた
トークショーに登壇したのは、デザイン会社PUDDLE代表の建築家・デザイナーである加藤匡毅(かとうまさき)氏と、城崎国際アートセンター館長兼広報・マーケティングディレクターの田口幹也(たぐちみきや)氏。加藤氏は、2015年11月~2016年1月末にかけて住宅デザインプラットフォーム「Houzz」にて行われた「LIXIL×Houzz "キッチンで暮らす"施工事例コンテスト」で金賞を受賞。田口氏は、受賞作品のオーナーとなる。
田口氏が加藤氏にリノベーションを依頼した物件は、兵庫県・城崎(きのさき)温泉にある「検番(けんばん)」だ。検番とは、花街において芸者の営業を仲介していた連絡事務所で、芸者の待機場所や伎芸の稽古場も兼ねていた場所である。
まずは、施工後の姿を紹介しよう。今回受賞を果たした空間は、仕切りがなく開放的なワンルームで、3階に位置する。中央にはグレーを基調としたアイランドキッチンがあり、高い天井には存在感のある梁が渡されている。キッチンには食器が整然とディスプレイされ、炊事場というよりは1つの家具のようだ。
この空間が完成するまでにどのような経緯があったのだろうか。田口氏は2011年、東京から出身地である兵庫県豊岡市に移り住んだ。「地方で地に足着けることへの抵抗」から別荘地である神鍋高原に居を構えていたが、縁あって2015年に城崎温泉に移住を決定。その住まいとして見出したのが、既に役割を終えた「検番」だったという。
「城崎という街は、街自体が1つの温泉旅館として見立てられています。各旅館を居室、道路を廊下とし、街を浴衣で歩きながら温泉をめぐる"外湯めぐり"が名物です。今はいないのですが、昭和40年代までは芸者さんがいました。その芸者さんが帰る場所を検番といいます。どこから声がかかってもすぐに行けるよう、街の中心地に位置しています。川のそばに建っているのですが、川沿いの家には一家にひとつの橋が渡されており、非常に風情のある光景です」と、田口氏は検番の周辺環境を語った。観光客が絶えず訪れる、変化の多い土地柄に惹かれたという。
○3階を"皆が気持ちよく過ごせる場所"に
田口氏が見つけた検番は、往時そのままの姿で残されていた。3階にロフトのような空間が付いた「3.5階建て」の構造で、玄関の前には川が流れ、建物の裏側には竹林が広がり、山がそびえる。
「ちょうど建物の裏側に竹林と山があるのですが、そちらが南なので、光があまり入らない立地なのです。なので、まず最上部のロフトを取っ払ってしまおうと考えました。それから階段の位置も変えて、家の真ん中に光が通るような吹き抜けも作ろうと、その程度のイメージはありました。まずそれを加藤さんに伝えましたね」と田口氏。
要望を聞いた加藤氏は、田口氏の友人でもある。「とりあえず見に行こう」と城崎の検番を訪れ、イメージを膨らませた。検番の3階は40畳ほどの大広間となっており、南側の奥には伎芸の稽古が行われたであろう、低い舞台が備えられていた。
「日本海側の城崎は、冬は寒いですし、南側には竹林と山があります。必然的に、長く家族がいる場所は日が当たりやすい3階になるので、3階をメインに家全体の設計を考えました。窓がある3階の北側に立つと、川の向こうに城崎の景色を一望できます。ここを皆が気持ちよく過ごせる場所、そして奥さんの仕事場として設定しました」と加藤氏。ちなみに田口氏の妻は漫画家で、仕事は基本的に在宅で行うという。
そして、加藤氏の中で大まかな構想が固まった。「田口さんも料理を作りますし、皆が過ごす場所から一番近い所にキッチンを置くことにしました。外の景色を望む仕事場と、そのすぐ横に寄り添うように位置する、部屋全体を見られるようなアイランドキッチン、というのが最初に思い浮かんだ構想です」。
こうして、キッチンを中心とした空間づくりが行われることとなった。次のページでは、検番を生まれ変わらせた数々の工夫を紹介する。
→次ページ: 検番を解体して出てきた"宝物"とは?
●キレイにしすぎると空間が死ぬ
○解体して出てきた"宝物"
このリノベーションを語る上で欠かせないエピソードがある。「ロフトを取っ払ってしまおう」という田口氏の方針のもと、3階の天井を解体すると大きな梁が姿を現した。無視できない存在感を放つ梁だったが、加藤氏と田口氏はその存在を「宝物が出てきたね」と喜んだという。
「梁はそのままにしてほしい」と提案したのは田口氏だ。同氏は、「この空間が検番だったということを残しておきたいと考えました。作業をしてくれる方に特に指示をしないと、昔の建材は削られたり、クロスをかぶせられたりして、キレイに化粧されてしまうことがあります。しかし僕は『この梁をキレイにすると空間が死んでしまう』と思ったのです。梁以外にも、南側の奥にあった舞台もそのまま使っています」と語った。伎芸の稽古が行われていた奥の舞台は、リノベーション後には子どもが遊べる小上がりとして活用されている。
○土地の空気に適応させる
城崎の気候に加え、竹林と山を背にし、正面には川を臨む特殊な立地もあって、この家では空調にも数々の工夫が凝らされている。
まず、天井が非常に高いため、冬場の暖房はエアコンでは間に合わない。外気は氷点下にもなるが、木造住宅が立ち並ぶ城崎では、暖炉などの火を使った暖房には危険が伴う。そこで導入したのが、室内に設置したパイプに温水を巡らせることで、放射熱によりフロア全体を自然に暖める「放射暖房システム」だ。外気が氷点下2度の日も室内は18度と、「はだしでいられる暖かさ」だったという。
川と山に挟まれた立地から、湿気対策も大きな課題となった。湿気がこもりやすい2階の内壁には、調湿機能を持つ珪藻土を使用。竹林と山に接している3階の南側にも窓を設けることで、建物の東西南北に気の流れを作った。こうして、見た目や雰囲気を磨いただけではなく、その土地の空気や周辺環境にも適応した住まいが仕上がった。
○リノベーションを成功させるためには
温泉街の検番という、独特の風情と歴史を持った建物。その持ち味を殺さず、快適で洗練された空間を生み出した今回のリノベーションは、特別で例外的な事例なのだろうか。成功の秘密を探ってみよう。
建築家・デザイナーとして、古い建物のリノベーションで大切にしていることを加藤氏に聞くと、こう答えてくれた。「現場に足を運ぶことですね。集中して物件の周囲の景色を見て、実際に歩き、時間の経過とともにそこから失われたものを感じることが大切です。また、ある程度の解体を行い、いらないものを剥がしていく作業も必要だと思っています。建物の状況を一度リセットすることで、空間そのものとの対話ができるようになるからです。今回の件で言えば、解体した天井から梁が現れたのがそれですね」。
また、依頼主である田口氏にも、リノベーションを進めていく上で心掛けたことを聞いてみた。「温泉ならではの雰囲気を生かし、建物が持つ歴史は変えないように心掛けました。今回は梁に手を加えないようにお願いしましたが、何でも残せばいいというものでもなく、そのジャッジはプロに任せるのもいいと思います」とのことだ。
既にある建物を生まれ変わらせるリノベーション。その成功のためには、自分たちの生活と同時に、建物が持つ歴史やストーリーにも意識を向けることが大切なのかもしれない。
(諫山大樹)