複数の命を助けるために1人の命を犠牲にできるか? この質問の答えでアナタの“人望”が判明する! | ニコニコニュース

トロリー 「Wikipedia」より引用
TOCANA

 殺人、食人、近親相姦……。これらが人類が社会生活を送る上で最低限戒めなくてはならない普遍的なタブーといわれている。しかし人と人非人を区別するこのタブーであっても、時によって破られていることは言うまでもない。その一方で、自分の命を犠牲にしてまでも献身的に他者を助ける行動に出る者もいる。いったいこの差はどこから来るのか? 宗教を含めた道徳教育から来るものなのか、それとも持って生まれたパーソナリティーなのか? 最新の研究では、この謎に心理学からのメスが入った。

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■究極の2択「トロリー問題」とは?

「トロリー問題」(あるいは「トロッコ問題」)といえば、数年前にNHK(Eテレ)でも放送されたテレビ番組『ハーバード白熱教室(Justice with Michael Sandel)』でも話題になった米ハーバード大学の政治哲学者、マイケル・サンデル教授の授業でとりあげられた倫理学上の論題で、ご存知の方も多いであろう。

 このトロリー問題は、いくつか細かい部分が異なるバリエーションがあるのだが、つまるところは、アナタが偶然直面した現場で「1人の命を犠牲にして5人の命を救うかどうか?」が問われる思考実験である。

●トロリー問題A
 ブレーキが利かなくなって暴走するトロリー列車(あるいはトロッコ)がある。そのままでは前方で作業をしている5人をひき殺してしまうことが確実な状況だだ。しかし、もし5人の前にある線路の分岐を切り替えれば進路が変わり、今度はその先にいる1人の作業員が犠牲になる。この状況に直面した場合、果たしてアナタは線路の分岐器のレバーを引いてトロリーの進路を変えるか?

 問題をよりはっきりさせるために、このトロッコ問題はもっと状況をデフォルメしたバージョンもある。

●トロリー問題B
 あなたは、線路をまたぐ歩道橋の上で暴走するトロリーの存在に気づいた。もしトロリーが今いる歩道橋を駆け抜けていけば、その先の線路上にいる5人がひき殺される。だが今現在、歩道橋の上にはアナタ以外にもう1人、太った男性がいる。この男性をトロリーが下を通り過ぎる前に線路に突き落とせば、トロリーを止められ、5人を助けられることができそうだ。あなたは、この男性を線路に突き落とすか?

 まさに究極の選択である。

 表現の違いこそあれトロリー問題のポイントは、5人の命を救うためにたまたまそこに居合わせただけで何の罪もない1人を殺せるか? という点である。つまり多くの命を助けるために殺人を犯せるのかどうかということだ。この1人を殺せないとすれば、アナタはこの5人がトロリーにひき殺される様子を何もできずに手をこまねいて傍観するだけの存在になってしまう。

●1人を犠牲にして5人を助ける=功利主義
 学術的には、前者のように1人を犠牲にして5人を助けるという立場は功利主義(あるいは帰結主義、Consequentialism)と定義され、ある条件の中で社会(構成員)にとっての最大の利益、幸福を求めていくという行動原則である。

●5人を犠牲にしてでも、1人の命を奪わない=義務論
 一方、結果的に傍観者に甘んじる後者は義務論(Deontology)に基づく行動と定義され、いかなる状況であれ罪のない人間を殺してよいはずがないという立場だ。

 はたして功利主義か、あるいは義務論か、アナタはこの究極の2つの立場のどちらを選ぶだろうか……。

 サンデル教授の“白熱教室”では、この議題を政治哲学上の“正義”の問題として扱い、学生たちの間で議論を深めることを主眼に授業が繰り広げられたのだが、今回、英・オックスフォード大学ではこのトロリー問題を心理学及び神経科学の観点から究明する試みが行なわれたのだ。


■法令遵守の精神は人間にとって“不自然”だった!?

 オックスフォード大学博士課程学生のジム・エベレット氏とモリー・クロケット博士、米コーネル大学のデイビッド・ピサロ博士からなる研究チームが学術誌「Journal of Experimental Psychology: General」で発表した研究は、このトロリー問題に心理学及び神経科学の立場からアプローチしている。トロリー問題をはじめとする9種類の論題について、2400人以上の実験参加者の解答を分析したところ、義務論の立場をとる人物はより信頼に値する(と見なされている)人物である傾向が明らかになったということだ。

 つまりトロリー問題では、5人の命を助けるためであっても1人の命は奪えないという、あまり英雄的行為とは思えない“傍観者”が、意外にも普段は周囲の信頼を勝ち得ているということだ。これはいったいどういうことなのか?

 実際のところ、実験参加者の多くは1人の命を犠牲にしてでも5人の命を助ける功利主義者の立場を選択しており、人間の本能に従った価値判断としてはこちらのほうが自然であると考えられているという。驚くべきなのかどうかわからないが、心理学の見地からは大半の人間はその場の全体の利益を優先する功利主義者だったのだ。それが意味するのは、極限状況の下では“殺人”を犯すこともじゅうぶんにあり得るということだ。

 ではなぜ、一部の少数の人々は人間として“不自然”でありながら、義務論の立場をとるのか? 決して少なくない心理学者たちは、義務論の立場は人間として不合理な感覚から来るものだとさえ主張している。しかしそこでエベレット氏が唱える新たなキーワードは“人望”と“公人”という尺度である。

 これはひょっとすると“公私”を使い分けている人が多いと思われる日本人にはわかりやすいことになるのかもしれないが、周囲から“人望”を集める“公人”の立場にある人物は、ある意味で自分の本能に逆らってまでも“法”(この場合は殺人を犯さない)を遵守する立場を貫くというのだ。したがって、例えば政治家や組織のリーダーなど広く周囲から人気や人望を博している人物ほど、義務論の立場をとるということになる。もしアナタが罪もない人間を殺せない義務論の立場を選択するとすれば、程度の差こそあれアナタはそれなりにリーダーの立場にあるのかもしれない!?

 しかしながら、もちろん複雑な人間行動にまつわる事柄であることから、例えば判断する本人自身が死を恐れていない人格であることなど、一筋縄ではいかない例外も多いことが考えられる。また周囲が求めるリーダー像もそうそう単純なものではなかったりもするだろう。しかしそれでも、このトロリー問題などのモラル・ジレンマ(moral dilemmas)は、政治哲学や倫理学などの分野だけで議論するのではなく、広く精神科学一般の観点から切り込んでいけるものであると提案したことには大きな意義があると言える。

 そしてこのような観点に立てばモラルや道徳はその人の地位や立場に大きく関わっているということになり、“道徳教育”の必要性にも議論の余地が出てきそうだ。いっそのこと小学生の道徳の時間は、公共性の意識付けとして“マナー講座”がよいのでは!?
(文=仲田しんじ)


※画像は、トロリー 「Wikipedia」より引用