【島国大和】“国産ゲームならではのこだわり”に未来はあるのか? | ニコニコニュース

 皆さんデスマーチしてますかー。(挨拶)
 お久しぶりの島国大和です。
 最近のゲームシーンは,PlayStation 4が絶好調,Oculus VRの「Rift」もついに発売され,PlayStation VRへの期待も大と,なかなか熱いですね。

 しかし,そんな中でも,何か足りないんですよ。足りない。俺の心にポッカリと穴が。


 それはそう,“国産”! 国産のすごいゲームが見たい! AAAタイトルはもう海外産ばかり!
 日本人が好むような,日本人ならではのこだわりがある,国産ゲームで遊びたい!
 日本のゲームシーンが熱くなってほしい!

 実際のところ日本のゲームシーンも,アイテム販売に対してガイドラインが出されるとか,一部は熱いっちゃ熱いんですが,そっちは今回放置です。

 そういうわけで今回のお題は「国産ならでは」で行ってみましょー。

■偏った予算配分と,研ぎ澄まされた職人芸

 まず,こだわりというか,国産ゲームっぽさってなんだろうと考えたんです。


 最近プレイしたゲームを例に挙げますね。

 ちょっと前に「METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN」(以下,MGSV)を遊びまして。


 いやー本当に半端ないです。とにかくお金がかかっています。
 プレイを始めてから数分ごとに「今1億円溶けた!」「もう2億行った!」とか思っちゃいました。
 チュートリアルが終わっただけで,もう計算できないほどになってまして,そりゃ何十億もかかるよねと。
 で,このお金のかけ方が,海外のAAAタイトルとはずいぶん違うんですよ。

 MGSVは,チュートリアルが1時間ぐらいあったり,それが実はあまり本編のチュートリアルになってなかったり(ストーリー上のとある設定のため,本編とはプレイ感覚が異なる)します。


 つまり,ストーリーの演出のために,わずか1時間程度しか使われないプログラムが大量にぶち込まれています。

 これが海外のAAAタイトルだったら,もっと本編のプログラムに工数を使って,お話部分はプログラムじゃなくてデータでやると思うんですよ。

 この場合,“プログラムでやる”というのは,企画者が作った仕様書を基にプログラマがプログラムを新たに書いて実装する,いわばオーダーメイド。デバッグもしっかりやらないとバグります。

 “データでやる”というのは,ムービーにしてしまうか,ゲームで表現するにしても,社内のゲーム製作ツールで対応できる範囲でやる,みたいな意味です。プログラマが関わる量は最小限です。


 スパロボとかで,顔絵とセリフが順番に出てきてお話を説明するようなイメージですね。

 MGSVの場合,本編中に挟まれるムービーシーンは,おそらくですが,まず3Dツールでモーションとカメラワークをつけて,それに音声やエフェクトを追加する仕組みが作ってあるのだと思います。仕組みさえ作ってあればあとはプログラマの関与は最低限ですみますから。

 しかし冒頭のチュートリアルは,データとプログラムが複雑に絡み合った作りになっているのが分かり,作り手としてみた場合「うわぁ,めんどくせぇ」という印象なのです。


 もちろん,そういう部分もツール化して量産しやすくしたりするわけですが,それすら面倒くさい。もうムービーでいいじゃん,とか思いながら作っていた人もいますよ,たぶんですけど……。

 MGSVは一事が万事この調子で「え,予算をそこに使うの?」という感じです。


 犬の動きまでモーションキャプチャ,とんでもなく豪華な俳優陣による大量の音声,プログラマ,デザイナー,その他投入された才能の量……。
 物凄いクオリティと物量です。しかもそれがめっちゃ偏ってる。

 このような手法は,ムービーより確実に没入感が出ますが,費用対効果を考えれば,そんな工数かかるところはささっとすっ飛ばして,通常のゲーム中でいろいろ仕掛けたほうがいいわけですよ。

 海外AAAタイトルにはMGSV以上のお金をドバーとかけているものもありますが,おそらくコアエンジン製作にコストをかけ,データ部分は横に広げて(製作人数を増やして)いるはずです。基本的に物量作戦で勝負が付く前提の設計の仕方ですね。


 Bethesda Softworksのタイトルが,“正攻法大予算ゲーム”の代表ではないでしょうか。
 スケジュールがズルズルと延びづらい,完成度合いが読みやすい,そういう作り方です(それでもすごく大変ですが)。

 ひるがえって,日本人開発者の自分から見ても,MGSVにおける予算配分のイビツな感じは,時代に逆行するあまり新鮮さすら覚えます。効率重視の手法からは生まれない,なにか情念のようなものが感じられるのです。


 MGSVが海外のタイトルと明らかに違う魅力を放っているのは,この合理的でない予算の使い方,ある意味で“無駄遣い”にあると思わずにはいられません。

 自分のサイフでない無駄遣いというのは,とても痛快で素晴らしいですよね。


 しかも実際には無駄に終わらず,採算が取れたどころか莫大な利益が出た(と思われる)のですから,拍手喝采です。

 こうやって,毎日どんどん溶けていく予算を見ながら,「よーし,あと●年かけてすげぇゲーム作るぞ!!!」と思えて,実際に素晴らしいものを生み出す人は,ある種の才能を持っています。しかし外から見れば狂人の類でもあり,こういったクリエイターをうまく制御できるかどうかがエンタメ系会社組織の命題ではないかと思います。

 もひとつ。


 最近「オーディンスフィア レイヴスラシル」を遊びまして。
 優れた2Dアクションですが,このレベルのゲームは“才能”がそろってないと絶対に作れないんです。

 まずキャラクターなどの2Dイラストを高いクオリティで量産できるイラストレーター,パーツごとに切り刻んだイラストを動かすツールを作るプログラマ,そのツールを使いこなせるスキルを持ったモーションデザイナー。


 動かした時に絵として成立する全体のバランスや,背景やライティング(2Dグラフィックスなので初期設計が全て)を調整できる人も必要です。そしてアクションゲームのプレイ感を左右する当たり判定,ヒットスロー,ノックバックのさじ加減……。

 the 職人芸!

 これら全部が高いレベルで絡み合ってひとつのゲームですからね。ある種のスキルを持つ人が一人でも欠けたら作れません。ソシャゲのカード絵を「Live2D」とかでちょっと動かそうぜ,ってのとはワケが違うんです。


 アクションゲームは,見た目と当たり判定とその動きこそがゲームのキモですから,横に広げにくい(人数を投入していっせーのでの量産には向いていない)のです。

 また,「オーディンスフィア レイヴスラシル」は絵柄のテイストも,なかなか海外産ではできないものですよね。


 このあたりは,日本市場があって,日本的センスの受け皿があり,また日本的センスに浸って生きてきた開発者がいる,というのが大きいと思います。

 最近,アジアの開発チームでもこういった日本の影響下にある2Dイラストを描ける人が増えてきました。


 日本よりもすごい絵が動いていたりしますが,全部コミコミで考えると,まだ日本に一日の長がある部分だと思います。
 日本のゲーム業界が,こういったリードを保てるといいなぁ。

 はい。そんな感じで。


 とりあえず目に付いた日本ぽいなーと思ったゲーム2つについて書きました。日本ぽさがどのあたりで出ているかというと。

 予算をどこに投下するか。


 技術をどう研ぎ澄ますか。

 という所だと思います。ゲームの個性って,究極的には「どこに工数割いたか」ですからね。自由度にこだわったり,残虐描写にこだわったり,おっぱいの揺れにこだわったり,安定した60fpsにこだわったり,映画的表現にこだわったり,厨二的センスにこだわったりです。

■“日本のこだわり”はどうやって生まれたか

 実際のところ,こだわりというものは,属人性が高くて,お国柄云々よりは,個人の芸風ともいうべき部分が大きいと思います。


 ただ,日本の場合は,なんとなく国産だなと言う特色が強く出る条件が,かつては揃っていたとも感じます。3つぐらいあげてみます。

 まず,労働環境。


 海外だとプロジェクト立ち上げの度に人を集めて,プロジェクト終了で解散,みたいなのは良くありますが,日本の場合,人材の流動性は良くも悪くも控えめです。
 そういう中「これはこの人しかできない」「彼はこれが得意だ」みたいなものが煮詰まった結果,独特の風合いが強く出てくる,みたいなところがあったりします。

 次にゲーム黎明期の市場の強さ。


 かつての日本は出せば売れるという状況でした。うらやましい。だからこそ,ヘンなゲーム,変わったゲーム,特徴的なゲームが求められた。ほかと混ざらない為に。
 潤沢な予算を投じた一発芸大会みたいなものです(誇張しすぎ)。この,ほぼ固定メンバーで予算潤沢一発芸大会をするというのは,ゲームの味付けに影響があったと思います。

 最後に,生活環境。


 日本に住んでいる人は,その気になればゲーム的,オタク的な情報にクビまでどっぷりつかれます。なにしろ20年以上ゲームのメッカだったわけですから。
 開発者もそうですし,プレイヤーもそうです。そこにはある種の以心伝心が存在し,そういう蓄積の上に成り立つゲームは,独特の味を持ちます。
 これは海外に持っていくときにマイナスだったりもしますが,強い魅力となるときもあります。

 こういった条件が揃った中で,たくさんのゲームが作られていくうちに日本的なスタイルが確立されていったんでしょう。

 たとえば,カプコンはベルトスクロールアクションの老舗ですが,あれはCP2基盤という当時のカプコンの主力基盤で類似のゲームを複数出すことによって,チームとしてのレベルが上がり,ゲームの完成度がどんどん上がっていったという経緯があります。

 ボタンをポチっと押せばシュっと技が出てビシッと当たって敵がのけぞる。

 みたいな一連の動作がとことん練りこまれて,現在の「日本風」といわれるモーションの代表的なものになっています。


 これが北米になると,予備動作やフォロースルーが丁寧に入っていて,デジタルな感じがしないモーションが好まれるので,ゲームのテイストが全く変わってしまいます。

 ほかには,日本ではドラクエの大ヒットを受けて類似ゲームが大量に出たおかげで,RPGにおけるゲームルールとドラマの見せ方が練りこまれ,文法が定まっていったとことも見逃せないでしょう(最近ではJRPGと揶揄されたりもしますが)。

 日本の開発現場は,一度ルールが決まった中での切磋琢磨が得意だと感じます。

 コレは何か,気質のようなものもあるかもしれません。


 例えば,日本の火縄銃,種子島は,当時のマッチロック式(火縄式)銃としては,世界的に見てもとんでもない精度を誇っていました。
 ですが,海外ではマッチロック→フリントロック→パーカッションロック(雷管)と,あっという間に製造や射撃方法が簡単確実なものになっていった一方で,日本はずっと火縄銃の改良をしていました。

 最近の海外AAAタイトルを見ていて,そういった歴史を思い出したりします。

■国産ゲーがこだわりを維持できたのはなぜか

 気を吐くイカしたゲームはMGSVやオーディンスフィア レイヴスラシル以外にもたくさんありますが,大きな視点でとらえれば,このところ国産ゲームの勢いが失われているように感じるのは否定できない状況です。

 かつて,国産ゲーがこだわりを維持できたのは何か。そして何故それが感じられなくなりつつあるのか。コレはもう簡単です。

 熱心なプレイヤーの絶対量です。

 総務省統計局が公開しているデータを見れば分かる通り,20代を中心とした若年層,つまり“ゲームを熱心に”プレイしてくれる層が減ってますよね。


 さらに言えば趣味もゲームも多様化し,スマホなどにも可処分時間と固定費を持っていかれています。コレはつらい。

 ファミコンからスーファミ,初代PlayStationの時代あたりまでは,日本に圧倒的に熱心なプレイヤーが数多くいました。よくわからないタイトルを買ってくれる人,海のものとも山のものともわからない新型ハードを発売日に買う人がふつうにいたんです。


 お客さんが多ければ,開発は冒険が出来ます。むしろ差別化の為には冒険が推奨される。

 え,そんなヘンなゲームで商売が成り立つの?


 コレぐらい差別化しないと埋もれます!

 こうして,ヘンで味わい深いゲームが出ました。それも支える市場があったからです。

 ちょっと前にWebでとある人気ゲームシリーズについてのインタビューを読んだのですが,年末商戦リリースの場合,5月にはプレイアブルが完成していて,あとはずっとテストプレイと調整,みたいなエピソードが語られていて,あまりのリッチさにひっくり返りました。

 売ろうと思ったら売れる商品が手元にあるのに,半年いじくり回してるわけですよ。もの凄い。今なら絶対「今すぐ売れ!」とか言うエライ人がいますよ。

 半年以上調整なんてことができたのも「売れる確信」と,それを支える「熱いプレイヤー層」のおかげだったと思うんですよね。

 うらやましいなぁ。そんな開発したいぞ!


 もっと日本にゲーマーを!

 ソニー・コンピュータエンタテインメントがソニー・インタラクティブエンタテインメントと名前を変えるのに合わせて,本社をアメリカに移したことや,Xbox Oneが日本市場に重点を置いていない(と感じられる)ことからも分かるように,日本市場の存在感は薄くなっています。

 前述したように,ゲーム人口以前に,少子化が進んでいて若年人口ダダ下がりですから。可処分時間も少ないですし。そのうえスマホのゲームと競合します。ちょっと年齢が上がると,ゲームに没頭してられないので,スキマ時間でプレイできるスマホに移行しやすいんですよ。

 さらに,ゲーム会社視点で言えば,日本のスマホユーザーは世界でも特異なぐらいお金を使うというのが数字に出てますので,大作なんかを作る暇があったらスマホゲーム作ろうぜってことになるわけです。

 実際のところ,スマホを含めた日本のゲームシーン全体としては,今が過去最大級の盛り上がりと経済効果なんですよ。今までゲームをしない人まで巻き込みましたからね。


 そりゃ手間暇かかるAAAゲームを作るより,スマホゲーム作ったほうが,割がいいんです。

 そして結果的に,コンシューマゲームシーンがちょっと厳しい感じになってるかもしれません。


 説明したように,ゲーム開発ってどこにどう予算を投下するかですから。予算が少ないと,こだわりも物量もしょっぱくなっちゃうのは,それはもう致し方ないです。

 中型,小型で手堅く売れることを狙うと,版権モノとか続編ものになっちゃいますし。先に挙げたこだわりの2タイトルだって続編ものです。


 当たるかどうかさっぱり分からないものに膨大な予算や人員はぶち込めませんから。せめてもの安全策は必要です。
 もう,相当緻密に戦略を練ったゲームしか,大金投入して“大博打”を打てないんです。

 本当に,もっと国内でもいっぱい売れるといいのに! でも人口が足りない! これでは国産っぽいゲームが作れない!

 難しい時代に差し掛かっているなーと思います。


 それを横目にスマホゲームがブイブイ言わせているのは,プレイヤー数と課金額のおかげですが,こちらもそろそろ飽和状態で,パイの奪い合いは激しさを増しています。

■そんなわけで

 今回は相当に強引に,国産ゲームのこだわりに関して書いてみました。


 こだわりはもう開発者の数だけ,プレイヤーの数だけあると思います。そしてそれが市場規模を満たしていれば,こだわりの一品が作り続けられていくでしょう。市場を満たせないものが消えていくのは,ゲームに限らずの理(ことわり)です。

 新しい市場にわーいと飛び込むのも,大好きだったこだわりが生き残るように手をかえ品をかえがんばるのも,プレイヤーとゲーム会社と開発者に委ねられているんでしょうね。


 そして,ゲーム開発のどこに重点を置いてお金を使うかがゲームの色を決めます。

「よーし,水着のテラテラ感と,そこから滴る水の為に,開発期間を確保するぞ!」

 いいですねー。気が狂ってますよね。

 まだまだいろいろなゲームの登場を見たいですし,日本のゲームメーカーにはがんばってほしい。プレイヤーとしても国産ゲームで楽しみたいです。


 繰り返しますが,日本的なゲームが生き残れるかどうかは,市場規模次第。今すぐ子作りに励むなり,海外の人に日本的ゲームの良さを分かってもらえるよう手を尽くしましょ!

 うーん。大変だ。というあたりで,今回は失礼します。


 自分もいろいろがんばりたいなと思いましたよ!

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記事URL:http://www.4gamer.net/games/999/G999903/20160415102/
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