2001年に私が社長になってからです。良品計画は1999年には売上高1066億円、経常利益133億円、「無印神話」ともてはやされましたが、その後たった2年で、赤字38億円を出してしまっていたのです。お店を閉めたり在庫を燃やしたり、いろんな手だてを講じましたが、根本的な原因が他にありそうだった。
私は「セゾン文化」と言われた独特の組織文化が、逆に足かせになっているのではないかと考えました。西友はセゾングループのひとつでしたが、セゾングループは、堤清二さんという稀代のカリスママーケッターによる感性が、大きな力となりました。その影響もあって、西友は先輩の背中を見て育つ経験主義の社風でした。この社風は良品計画でも同じでした。
しかし、経験主義は特に「守り」に弱い。たとえば、ある冬に、売り上げが落ちたとしましょう。その年が暖冬だったとしたら、経験主義だと「暖冬対策がうまくいかなかったね」ということで終わってしまう。けれども、実際には暖冬でも業績良好の企業はあるわけです。そういう会社は、暖冬でもモノを作る「仕組み」を持っています。
そこで、当時私がお手本にしたのは、しまむら。ユニクロやニトリなど、我々がライバルとしている企業も上手に利益をあげていました。
高成長期なら経験主義でも対応できたのです。70年代、大量仕入れ大量販売のスーパー業界が伸びていたころは、西のダイエー、東の西友に加えて、イトーヨーカ堂、当時のジャスコやマイカル、ユニーなど6社が競合しても、全社が伸びていけた。
しかし、マーケットが縮小した低成長時代を勝ち抜いたのはイトーヨーカ堂さんのグループ。強い理由は個人の勘や経験だけに頼らない「仕組み」と実行力があったからでした。低成長時代は仕事を仕組み化しなければ、勝てません。個人の経験に頼らず、会社が優れた仕組みを持つことが、その会社の成長を保障する資産となるのです。
社長になってすぐに仕組みづくりに着手しました。店舗で使う「MUJIGRAM」と店舗開発部などで使う「業務基準書」の2つのマニュアルには、「それぐらい口で言えばわかるのでは?」と思われることまで具体的に明文化しています。なぜなら、仕事の細部こそマニュアル化するべきだと考えたからです。細部を店任せにすると各店長の経験や勘によってばらつきが出てしまいます。
たとえば、「商品を整然と並べてください」と指導します。しかし「整然」のとらえ方は人それぞれです。だから、「フェイスUP(タグのついている面を正面に向ける)、商品の向き(カップなどの持ち手の向きをそろえる)、ライン、間隔がそろっていること」と、MUJIGRAMで具体的に定義づけます。新入社員でもわかるように明文化することが重要です。
ありましたよ。私は“ゆでガエル”方式をとりました(笑)。反対派を排除せず、逆にMUJIGRAM作成の委員に任命したのです。最初は嫌々かもしれませんが、積極的に作成に関わらざるをえない立場になれば、人は自分の得意分野では知恵を出してくれる。そうこうするうちにいつの間にか反対勢力だった人も改革と変化に染め上がっていく。
不満を言う人たちはもともと優秀な人たちでもありますから、マニュアルを積極的に活用してもらうよう、現場に働きかける頼もしい戦力にもなります。カエルはゆであがったら死んでしまいますが、人間の場合は痛みを感じさせず、皆で改革を実現できる良い方法だと私は思っています。
実際には、むしろ逆です。その証拠に、弊社のマニュアルは、それぞれの現場で働くスタッフたちが「こうしたほうがいい」という創造的なアイデアを出してくれるようになったおかげで、更に内容が充実してきています。
これは、基本的なマニュアルがあれば、逆に改善点や問題点が見えやすくなり、新しいアイデアが生まれるからです。そしてその発見をマニュアルの更新によって「見える化」し、共有すれば、会社の資産となります。
スポーツや芸術でもそうですが、まず最初に決まった「型」を習得して初めて「型破り」が可能になります。型がない人がやるのは「型なし」です。基本的な仕組みの存在こそが、会社の成長につながる創造性を生みだすのです。
「仕組み化」は、現場の声を吸い上げる点でも力を発揮します。弊社のヒット商品に「足なり直角靴下」があります。これはチェコ駐在員の奥さんが情報をくださって生まれた商品です。商品化するまで苦労はありましたが、こうした声を吸い上げることで、細分化する顧客のニーズに気づくことができます。
無印良品の基本的なコンセプトは非常に強いものです。日本の禅や茶道に代表される、簡素を旨とする哲学的な価値観でできています。このコンセプトを軸に時代のニーズに繊細に対応していくために「仕組み」は今後も不可欠であると考えています。