マスコミが取材をするときのルールとは何か? 報道する価値があるときはルールを超えてもいいのか?
そんな議論がTwitterで巻き起こっている。
きっかけは、以前も話題になった竹ノ塚で撮影していた報道カメラマンの画像だ。
左の画像を見ると「マスコミひでえ。ゴミかよ」と思うけどこのカメラマンが撮った右の画像を見ると「マスコミすげえ。報じる価値あるわ」と感じるのである pic.twitter.com/vO6pu0L2RR
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年4月25日
左の画像が取材時の模様で、東武鉄道の作業員に危ないから降りてくださいと言われても、無視して撮影を続けていたという。そして右の画像が、実際の仕上がりの写真だ。
Simon_Sin(@Simon_Sin)さんは、左の画像は「マスコミひでぇ。ゴミかよ」と思うけど、右の画像は「マスコミすげぇ。報じる価値あるわ」とツイート。
これに対して議論が巻き起こっている。
@Simon_Sin
価値があるかないかということと
許されるかどうかということは別問題
ルールの範囲内でやってこそ報道
秩序を破った末に手にした成果が世の中を変えてはならないでしょう。— feketerigo (@Impossible106) 2016年4月25日
@Impossible106 価値があればルールを踏み越えるのも仕方がない。ルールを守る公益と報道する公益を比較して後者が大きければそのルールは無視したほうが全体の利益は大きくなるのだから。
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年4月25日
@Simon_Sin
それを全員がやり出したら秩序が崩壊する、というより今まさにそうなりつつあるじゃないですか。
価値があるかどうかの判断は誰がするのです?それにルールを蔑ろにしてまで得る成果を評価していたら、法治国家は成り立たなくなる。— feketerigo (@Impossible106) 2016年4月25日
@Impossible106 それをそれぞれでやるから報道なのですよ。「ルールだから」で思考停止してるようじゃただの広報機関じゃないですか。
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年4月25日
@Simon_Sin
それは無法地帯となんの変わりがあるのですか?
報道だから許される?本当に?
価値があるからどんなルール違反でも大丈夫?本当に?
ルールの中でどうやって伝えるかを考えるのが報道のあるべき姿でしょう。— feketerigo (@Impossible106) 2016年4月25日
@Impossible106 @Simon_Sin お二人のやり取り見てて思ったのですがすみません。ジャーナリズムがどうあるべきかは分かりません…
が、この写真の凄さと公共の利益とがリンクしているかは少し疑問ですね。公共というか日経新聞の利益というか…— みずぽん (@mizupon_) 2016年4月25日
@mizupon_ @Impossible106 ここはかつて死亡事故のあった踏み切りで、そこでまた事故が起きたということを報じるのは公益性がありますね。交通行政について読者が論じるための材料になりますので。
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年4月25日
@Simon_Sin @Impossible106 記事としてはなるほどそうですね。地元の方には広く知らせる必要はあります。しかし、現場レベルで記者が傍若無人的振る舞いをする事自体も公共の利益を損ねている気もします。
— みずぽん (@mizupon_) 2016年4月25日
@mizupon_ @Simon_Sin
実際のところ公共の利益になっているのかそれを損ねているのかの判断は分かれるところでしょうけれど、全体として利益になっているからその一幕のルールは無視していい、という理論は絶対に容認できないというのが私の発言の趣旨です。— feketerigo (@Impossible106) 2016年4月25日
なぜ現場係員の指示に従わないといけないのか?迅速で安全な復旧という公益のためである。なぜ現場係員の指示を無視して写真を撮る必要があるのか?ここが事故が多発する危険な踏み切りだと報道して世論を惹起するという公益のためである。 https://t.co/wBCA6t6kWb
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年4月25日
※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。