転職で年収17倍!「能力ではなく可能性を信じる」26歳アメフト元日本代表営業マン、芦名佑介の仕事哲学 - 営業type | 転職@type

元アメリカンフットボール日本代表選手、芦名佑介氏。彼は慶應義塾大学を卒業した後、電通に入社し、クリエイティブ職に。しかし、わずか1年半で退職し、プルデンシャル生命保険へと転職した。

入社から3年目、何の営業経験も持たずに完全歩合制の世界に飛び込んできた芦名氏は、26歳にして前職の17倍の年収を稼ぐ男になっていた。なぜ彼はトップ営業マンになれたのか、そんな彼の仕事の哲学に迫った。

プルデンシャル生命保険株式会社 品川第一支社 第八営業所 営業所長  芦名佑介氏

プルデンシャル生命保険株式会社 品川第一支社 第八営業所 営業所長
芦名佑介/あしな・ゆうすけ

1989年生まれ。2004年、慶應義塾高校に入学しアメリカンフットボール部に入部。17歳でU-19日本代表選手に当時最年少で選出され、18歳でU-19 日本代表のキャプテンを務める。慶應義塾大学4年時には約150人の部員をまとめるキャプテンを務め、卒業後、電通にてコピーライターとして活躍後、プルデンシャル生命保険株式会社に営業として転職。14年、25歳という史上最年少の若さで営業所長に抜擢された

闘争心のままに決めた、生命保険業界への転職

プルデンシャル生命への入社のきっかけは、突然のヘッドハンティング。「すごい男がいるらしい」という噂を聞きつけ、営業所長が芦名氏に直接コンタクトを取った。生命保険の営業という仕事には何の興味もなかった芦名氏。しかし、そこで働く強烈な向上心を持った人々との出会いは、大企業ですっかり飼い慣らされていた彼の闘争本能に火を付けた。

「この人たちには負けたくないし、自分なら勝てると思った。最後は理屈ではなく感覚で入社を決めました」

「絶対に一番になってやる」。そう決めて新天地に飛び込んだ芦名氏が真っ先に取った行動は、当時のトップセールスマンの全てをまねすることだった。

「僕に営業の知識はない。ならば活躍している人のやり方を模倣するのが成果を出すための最短ルートだと思ったんです。全く同じ行動をとることでその人に並ぶことができれば、電通で培ったクリエイティブ力で追い抜けると思ったんです」

それは単純明快ながら、最も理にかなった方法だ。結果、芦名氏はわずか3カ月半で年間新人ランキングの4位に入賞。翌年は約3500人の営業マンの中で全国2位に輝いた。24歳にして年収は前職の10倍。さらに26歳の現在では約17倍となった。

驚異的なスピードで成長を遂げる芦名氏は、トップ営業マンを目指すには欠かせない「3つのS」があると話す。

「最初のSはスキル。これは他の営業とまったく逆のことをすること。僕も電通の時にプルデンシャルのトップ営業マンから営業を受けたことがあったんです。でもその時、僕は生意気にも保険に入らなかった(笑)。その時の僕を保険に入れるためには何が足りなかったのか。その理由をとことん突き詰めて考えたんです」

たどり着いた答えは、「保険の営業」ではない「何らかの価値」を感じてもらうこと。芦名氏は、非日常の気分を楽しんでもらうため、商談場所として必ず高級ホテルを利用し、顧客に苦痛を感じさせないため、アポ時間は必ず15分と決めている。15分という短い時間で、保険に興味のない相手に興味を持たせなければいけない。だからスキルを磨く。これが芦名氏の「保険営業のスキル」に対する考え方だ。

「2つめのSは『スタイル』。すなわちその人の持つ個性。自分の個性を知るために大事なことは『レベルの高い環境に身を置くこと』だと思っています。慶應でアメフトをしていた頃、私はその中で一番上手かった。だけど18歳で日本代表に選ばれたとき、周囲のレベルがとても高く、何にもできない自分に気付いた」

自分が身を置く環境のレベルを上げることで、自分の弱みを発見できると同時に、高いレベルの中でも絶対にこれだけは負けないという強みも見つかる。それが、自分の武器になるのだという。

「最後のSは『スタンス』。これは、一番になりたいという志。アメフトで鍛え抜いた絶対に一番になってやるという強い志が、今も生きていますね」

素人に言われた「お前、下手じゃね?」

入社以来、ハイパフォーマンスを出し続けている芦名氏。しかし、「ナンバーワンよりオンリーワン」が良しとされる、いわゆる「ゆとり世代」で育った芦名氏が、ここまで一番に執着できるのはなぜなのか。

それは芦名氏がなりたい男の理想像を明確にもっているからだ。それは「めちゃくちゃ男前で、面白くて、ストイックで、気持ち良くて、素直な男」だ。人間は成果を出すほど驕りと慢心に足をすくわれそうになるものだが、その中で素直さを追求できるところが、芦名氏の真価だ。

「素直さは、人が成長する上で絶対に欠かせないもの。大学に進学したとき、すでに日本代表に選ばれていた僕は、実は天狗になっていました。そんな時出会ったのが、後に共に日本代表選手になり親友となる中村義幸です。彼は高校までラグビーをしていてアメフトは未経験でしたが、最終的には僕と同じく、日本代表になった男です」

大学1年の頃のある日の練習で、芦名氏は小さなミスを犯した。鳴り物入りで入部した期待の星である芦名氏のミスを指摘しにくい空気が流れる中、中村氏だけが「お前、それ下手じゃない?」と指摘した。入部したての未経験者からの指摘にプライドを傷つけられたが、耳を傾ければ彼の指摘は的確だった。以来、2人は相互に助言を求め合う無二の親友となった。芦名氏の指導を純粋に聞き入れた中村氏は、大学からアメフトを始めたにもかかわらず、オールジャパンにまで上りつめたのだった。

「みんな子どもの頃は誰だって一番になりたかったはずなんです。だけど、大人になるにつれ、そう簡単に口にできなくなる。なぜなら、挫折を経験して自分の可能性を信じられなくなってしまうからです。大事なのは、自分の能力ではなく可能性を信じることです。それが素直だということ。僕が入社して真っ先にトップセールスをまねることができたのも、その親友から素直であることの大切さを教えてもらったおかげなんです」

両親の死を乗り越え、作り上げた鋼の精神

営業をしていれば心が折れそうになることもある。だが、芦名氏は「これまで挫折を味わったことがない」と言い切る。なぜなら、彼は挫折を挫折と考えておらず、自らを奮い立たせる試練なのだと考えている。その鋼の精神をつくり上げたのは、15歳、高校生での両親との死別だった。

プルデンシャル生命保険株式会社 品川第一支社 第八営業所 営業所長  芦名佑介氏

「両親の死はもちろん悲しかったです。だけど、中学生の弟と2人残されて、兄の僕が悲しんでいても埒があかないと思った。自分は自分のできることを全力でやるしかない。ちょうど母が亡くなった週末に、県大会の決勝戦がありました。僕は自分の意志で出場を決め、チームは2位で全国へ。そして、全国大会で優勝を果たしました」

大切な存在を15歳で亡くした心中は、経験した者にしか分からない。だが、悲しみを乗り越え、それによって大きな成長を得たからこそ、芦名氏は言う。

「不謹慎な言い方かもしれないですけど、今思えば両親の死も僕にとっては“ラッキー”だったのかもしれません。結果として精神的に大きく成長することができたのですから」

目指すは「人に夢を与える怪物」

芦名氏のTwitterには「怪物になります」と記されている。この宣言の真意を問うと、芦名氏は「男の子ですから」とよく日焼けした顔をくしゃりと崩す。

「みんな誰でもヒーローになりたいと思っているはず。でも可能性を信じられないから、自分で自分に蓋をしているだけ。そんな人たちに向けて、僕は自分が頑張ることでヒーローになれるんだってことを体現したいんです。ただ、ヒーローだとカッコよすぎるから怪物かなって。その方が僕らしいじゃないですか」

自分の頑張る姿を通じて、芦名氏は勇気を与えたいのだ。例えば自らと同じ地元・川崎で生まれ育った子どもたちに。両親を失った子どもたちに。アメフトに情熱を注ぐ子どもたちに。こんなふうになれるんだと希望を感じてほしいという想いが、芦名氏を突き動かしている。

芦名氏が突出した成果を上げ続けているのは、小手先のテクニックによるものではない。見据えているビジョンの差だ。果てしなく高い目標を掲げているからこそ、誰も追いつけないスピードで芦名氏は進化し続けていく。

取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太