研究所でエンジンテストをしている若い女性エンジニアが、上司から紹介され、宗一郎の前に進み出たのです。その女性エンジニアの顔をじっと見ていた宗一郎は、にこっと顔をほころばせ、照れたようにひと言発しました。「俺、負けちゃうな」それは、80歳を過ぎた老人のものとは思えない、実に可愛げのある表情でした。思わず漏らした「負けちゃうな」には、「これからは君たちの時代だ。あとは任せたよ」という、遺言に近い思いが込められていたように聞こえました。続きはこちら
http://toyokeizai.net/articles/-/150187
あの頃の日本は何やっても儲かったからな
うちの親父も中卒ながら会社興してそこそこまで育てた
ビートが最後に見送った車なのか…
後継っぽいのがS660とかどう思うんだろ
ちゃんと大学で設計学んでないから滅茶苦茶なアイディア出しまくってたらしいな
葬式は盛大にするな
車屋がそんなんで渋滞起こしたらかっこ悪い
ってのも好き
大企業に限らず、一代目なんて皆凄いと思うけどな
色々な社長の話を聞くと、先見の明と実行力が半端ない
あとは、人を引き付ける魅力
宗一郎はただのカリスマ的存在で、実際は藤沢武夫の功績だろ
ソニーの井深に対する盛田みたいな存在かな
工場視察で一部の開発メンバーだけが写った車の完成を祝う集合写真をみて激怒したエピとか
相方がよかったんよ
宗一郎さんだけだったら、速攻潰れとる
成功するまでには、ドン底を見てるからなぁ。
そこから這い上がる精神力が無いと。
本田宗一郎の凄いところは
部下に抜かれた時点で引退を決断した
この判断力。
「(自社の最新技術を見て)何をやってるか分からない。それが嬉しい」
こういう発言は相当人徳がなきゃできない
そしてスズキの修ちゃんは抜かれてないから現役
志と運と人脈だろうね
軌道に乗れば
優秀な人材が自然に集まってくる
悪いのが接触してくる事も沢山だろうけど
会社やりたいって思っても、どっから金用意すんだろ
>>259株式会社設立費用は登録免許税15万円と公証役場費用4万円と印鑑1万円くらいなもんだぞ
普通は行政書士に頼んでプラス何万かだけど
回ってなんぼのエンジンを造ってたホンダ、本田宗一郎のホンダが好き
こんな俺はもちろん当時の車を今も持ってる
ヒュンダイがロゴまで真似してるのを地獄から見て怒り狂ってそう
>>270絶好調のホンダエンジンが気に入らない欧州勢からF1ターボ禁止されても
笑ってたほど懐の広い彼ならそんな物なんとも思わないよ。
車が好き過ぎて一から作ってやろうっていう気持ちは分かる
大企業を作るのは無理でも車を作るのは努力すれば今からでもできるんじゃねえかな
まあトップに立つ人間は能力よりも人間的な魅力の方が重要なのかもしれん
ホンダは本田宗一郎も偉大だけど、中村良夫氏をはじめとするもと中島飛行機の技術者がホンダに入ったんだよな。
>>280中村良夫は4輪立ち上げのために中途入社したという点で
フェラーリで言うとカルロ・キティやM・フォルギエリに近い立場だったと自分でも言っている。
今で言うとテクニカルディレクターというかんじか。
フェラーリの例を見ると、ディレクターのキティやビザリーニが1962年に会社を出て行っても
結局その後の世界で勝ち残って行ったのはフェラーリであり、出て行った技術者集団ではなかった。
ホンダが1965年にF1に勝利した要因もトップのカリスマによるものが大きい。
まだ自国の大企業が確立してなくて新規が参入しやすい環境だったんだろう。
いまから自動車整備士が自動車メーカーの大企業を起こすのはかなり困難。
本田宗一郎が存命だった平成初期まで、確かにトヨタと張ってたんだかなぁ。
f1やビートなど世界で一番勢いがあった。
最近では、フィットやNシリーズ頼みのつまらない会社になってしまった
エンジニア上がりの社長はロマンがあっていい