今年1月、小田原市の福祉課の職員らが「生活保護なめんな」と書かれたジャンパーを着用していた問題が報道された。生活保護にまつわる話題は議論を巻き起こしがちだが、3月6日に放送されたバラエティ「好きか嫌いか言う時間」(TBS)でも議題になった。
働きながら生活保護を受けるフリーライターに大バッシング論争の中心になったのが、フリーライターとして仕事をしながら生活保護を受給する36歳の男性だ。男性は、生活保護申請者は「申請権」を持つため、原則として福祉事務所は断れないという前提を紹介し、「生活保護は健康でも簡単に受けることができる」と主張した。
男性自身も健康状態に問題はなく、ライター業務以外にも就ける状態だが、生活保護を受けて暮らしているという。
スタジオでは坂上忍さんや自民党の片山さつき参院議員らが「グレーゾーンだ」と批判。しかし男性は「収入申告をしているから不正受給ではない」と反論し、
「僕がおかしいと思うなら、制度がおかしい。違反してはいない」
と開き直る。こうした態度も火に油を注ぎ、スタジオでは「仕事があるのに生活保護を貰うのは禁止すべきだ」という論調が強まった。
しかし、人権派で知られる宇都宮健児弁護士と、お笑い芸人のたかまつななさんは、この空気を止めようと意見する。たかまつさんは
「公務員でも、給料が少なく生活保護を受けている人がいる。仕事があるなら受給するなとしてしまうと、そうした人たちが保護を受けられなくなってしまう」
と主張し、宇都宮弁護士も「学校の先生の中にもいます」と加勢。しかし、虚しくも空気は変わらず、生活保護受給者にネガティブな印象を持たせるような流れが続いた。
「生活保護の受給日を給料日と呼ぶ不届き者がいる」というケースを紹介番組を見ていて気になった点が三つある。一点目は、意図的に「生活保護受給者は悪い」という空気を作っていないだろうかという懸念だ。
番組冒頭では生活保護費の参考額が紹介されていた。東京23区内に住む33歳・29歳・4歳の3人世帯の場合、約23万円が支給されるというが、これを知った町の人は「多すぎる」と批判する。60代の主婦は
「40年間国民年金払って、私今手取り6万円」
と、納得いかない様子だ。
しかし、以前本サイトでは25歳の若者が最低限度の生活を営むには地方都市でも月22万円が必要との試算を紹介したことがあった。3人世帯で23万円が、健康で文化的な最低限度の生活を営み自立するには充分な額だろうか。ちなみに、生活保護受給者が貯蓄する際には、目的や額に制限がある。自立への道は楽ではない。
二点目は、不正受給事例への過度の注目だ。不正受給の事例紹介では、現役福祉課職員から
「生活保護の受給日を給料日と呼ぶ不届き者がいる」
「貰ってやっている、という態度の人がいる」
との話が出たが、これは不正受給ではなくモラルの問題だ。ようやく紹介された不正受給の事例で「1世帯に住んでいながら、世帯が別だと偽って申請していた3世代家族の例」が出てきたが、そもそも稀なケースだ。
生活保護の不正受給は全体の2%弱。個々の事例がモラルを欠くものであるにせよ、この2%を吊るし上げ、残りの98%の受給者も一緒くたに非難することに意義はあるのか。ましてや、個々人の態度問題を受給者全体の問題のように話すのは、偏見を助長するだけだ。
不正受給よりも、漏給問題のほうが深刻である。2010年の厚生労働省の調査では、条件を満たしているにも関わらず受給できていない人が7割いると言われている。番組では、そうした話は1分にも満たないうちに終わってしまった。
ネットでも
「こういう珍しいケースをことさら取り上げて『不正受給だ!』『国のカネが少ないのにこんな人に使われてるもっと減らすべきだ』『1人1日300円なんて贅沢だ』という方向に持って行く」
「正直、芸人やタレントは生活保護には触れないで欲しい。いや、まともな人もいるかもしれんけど、どうしても『ずるい』という視点を排除できんと思うのよ。ウケを狙う職業柄」
と、異が唱えられる。生活保護は権利の一つだ。バラエティで議論すること自体に抵抗がある人が多いようだ。
必要なのは「健康で文化的な最低限度の生活」の再定義そして、三点目は、弱者叩きが平然と放送されていたことだ。番組後半で、生活保護を受給する男性の夕飯メニューが紹介された。かつて自身も貧困だったという俳優の風間トオルさんがこれに
「晩御飯が豪華だ。自分は草や虫を食べていた」
と水を差したのだ。この男性は8人家族の大黒柱で、心臓を病んで働けなくなり、生活保護を受給している。自身は一日一食、子供達には栄養をと一皿100円の生牡蠣をおかずにし、一人あたりの食費は1日315円で暮らしていると知っていながらの発言だ。
「健康で文化的な最低限度の生活」は、草や虫を食べる生活を想定していない。にも関わらず、夕飯のおかずだけを取り上げ「贅沢だ」と批判するのはいかがなものか。
健康で文化的な最低限度の生活の再定義が必要だ。